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ごあいさつ

「被災者の方にお手紙を書きませんか。
 1人1人に届くよう小さな紙で沢山書いてください。
 志津川小学校と志津川中学校に届けます。
 まだまだ一部ですが直接繋がっていますので、責任持って渡します。」


4月7日のこのツイートから「お手紙プロジェクト」は始まりました。
その前日まで南三陸入りしていた私は、街ごと失われたあまりの光景と、避難所に漂う悲壮感に打ちのめされていました。

たくさんの方たちの悲しい目、話し出すと涙してしまう水際の精神状態、「私たちは忘れられていくのではないか」という諦めの言葉。
いま必要な支援は物だけでなく、人の声、温かさ、ゆっくりと話を聞くことなのだと感じ、もどかしい気持ちで東京に帰って来ると、今度は東京や西日本の「何かしたい!」という圧倒的なエネルギーに迎えられました。
被災地を真剣に想う人もまた、たくさんいる。この両者の気持ちを繋げなくては。

避難所には大きな横断幕が掲げられ、テレビやイベントで目にする「がんばろう」「前を向こう」という一方通行なメッセージが溢れていました。
もっときめ細やかな気持ちを、一人一人に届けたい。
離れていても想いはずっとあり、忘れるわけがない、ということを伝えたい。
そのとき私は「今回出会った人、一人一人にお手紙を書きたい」と思っていました。
そしてツイッターで呼びかけました。

2週間ほどで大分、大阪、京都、東京、千葉、埼玉、神奈川、茨城、新潟、仙台から、そしてなんとバルセロナの方まで30名、約500通余りのお手紙が集まりました。

最初は喜んでいただけるか正直不安でしたが、4月22日南三陸のいくつかの避難所でお一人お一人と話しながら手紙を渡し、多くの方に喜んでいただきました。

書いてある文字を手でさすり続けるおばあさんがいらっしゃいました。
「また書いてください」とお返事を下さるお母さん、土壌の浄化を願い同封されたひまわりの種を手に「種を蒔こう」と言ってくださったおじいさんもいました。

このプロジェクトの目的は、気持ちのやり取りで被災された方を支えることです。
最終的な目標は、個々人の文通を通して息の長い支援をして行く、その橋渡しの役割を担うことです。
被災地の復興はまだまだこれからです。
どうぞ、ご協力ください。よろしくお願いいたします。   

                          お手紙プロジェクト代表 中村 佑子


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